「背徳感でしょう」継ぐ息に圧されこぼれる言葉を憎んだ、吐きすてる前のガムみたいなその言葉を、だから肚の底から憎めたんだ。そして、0.1秒後に愛した。「愛したっていうのは、どうでもよくなったのと似ているよ」腹の上で見上げた小さな海には濃い密度の…

冷たい夜の警固公園

冷たい夜の警固公園では透明すぎないいまだけがスケートリンクのように凍り、狭くなった視界のすべてをあの人のくちびるや目やあたたかい手のひらが占めた。あの人はそこにいて、そしてまだここにいるけれど、その欲の安らかさや、体に食い込んだ劣等感を、…

あめふりの夜

時間がただここにあるような気がして、したくもないことをしてみる。「ねえ、みて」爪を切りそろえてプールのような水色のマニキュアをぬり終えたわたしに、ゆっくりと向きなおり、「死にかけの妖精みたい」と言う。北風と太陽の北風になったつもりで乱暴に…

夏になりたい

すべての夏休みを内包して風は凪ぐ夕方、昼には殺意を覚えたような蝉の声に泣く。日は高く、見えなくなっていっそうその存在感を増す。蒸された草や土や体は夜に溶けて流れて、流れて。悲しみもよろこびも滲んでいっしょくたになるような高揚を、ただしく使…

ふみにじる

冬になり、春が来て、夏にとける。たかい日は影を焼きつけてまっすぐ去っていったし、秋は長く、ただ長いだけで世界を蹂躙したんだ。失われた機能を再構築することに専念しているうちにわたしは死ぬ。また来た冬はいくつかの冬の総集編で、最後の冬になるし…

日々

どうでもいいことが日々の大半になる。だれかの日記の8ページ目に書いてあるようなことが鼻先にぶら下がって腐っている。話したいことなんて本当はないよ。生まれた時から。どうでもいいことだけを言い尽くしたせいで舌は腫れて夜はもう暖かい。驚きはしない…

咲く花の

桜がすべての春をこぼしている。あのときあのひとのとなりを歩いたその道に影を落とした。満ちたりた淡い赤に混ざる空の青と漏れる光。きらきらして、それはもうほんとうにきらきらとしていて風は冷たく繋いだ手からこぼれそうなものこぼれずにそこにあった…

おめでとうと

おめでとう、もう忘れてまたはじめましてして、わたしたち、生まれた途端生きろっていわれてだから生きてきて、それってなんなの、わたしは、おめでとうもいえない、いままでのこと指で窓に書いた、外からみると逆さのこんな結末の始まり、結末だってさあ殴…

オルガン

この皮膚の下の、だれのものでもない血と肉とはあまりにファンタジー的。形式を重んじるようでいて見縊っている半端な設定をぶっ壊してやるよ。鳴る心臓は知る。こおる背にやまない生命が迫りくる。生かしておいて死はさめて、ひとりぼっちだ。鳴る心臓は聴…

春の突風

それは東南東の高気圧から西南西の低気圧へ向かって吹く。静々と整列した空気を掻きまぜ弛ませ木立のにおいを立たせる。桜の木肌には密やかに上気した頬の色が滲みはじめていて、わたしはシリコン人形みたいなやりかたでそれをみつめるしかない。息はしない…

ばらばら

星がかたっぱしから落ちて山を燃やしているみたいなあれは山の上ホテル。黒い道ふりかえって、澱みをみつめ、またふりかえる。まえうしろくるくるしても闇はいつも背になる手に負えない。だからもっとえぐいああああまい旋律で踏みにじって、ああ。うたいた…

代謝

変えることはいつの世界も結果オーライの粗さで受容、つき従う思想は水のように流れて然るべきよと正反対にみえる主義主張もいつかのおなじ人間によるものなのだった。わたしたちはいつもなにかを変えたいだけなんだって、よくするわるくなるってなにが。代…

雪の日、二日目

夜明け前の薄暗さのまま一日が終わった。こんなにうるさい雪の日は初めて。外を歩く半分の人はすべって転んできいきいさけび、つもるはずの雪の半分はごうごうと強すぎる風に飛ばされた。大きな雪だるまをまっしろにつくるにはたりないけれど、雪はつもった…

雪の日

今日は氷点下の気温が一日中つづき、雪の降らない時間はなかった。路面はかたく薄い膜に覆われどこか安心しているようすで、そのうえを風に追われすべる雪。音もなく、というよりもわたしに音はよりつかず、なにもかもがどこか遠く、意識の縁にみえ隠れする…

ノーザンライツ

チープなチュール、でもオートクチュールでもオーロラのようにたっぷり濃く重なり、それでいて、重なるほどきりなく淡く透けなくては。ここは余りの世界。なにもかもが打ち消しあったあとの残り滓の世界。わたしたちはいつも、だからきっと孤独。波立つ襞は…

手のうちをぜんぶみせる約束をして恐怖を交換する。痛くもかゆくもない傷口を晒すのをゆるさない。新鮮に苦くひっそりと深い場所を探りあてやさしい声で甘やかさない。痛いっていえばいい。苦しいっていえばいい。穏やかなふりの鈍磨した感情をひきちぎって…

ひつぎ

墓をひつぎに入れるような愛し方をしたの。せめては殺して山手線へ捨ててと言って雪を食む。もうおやすみよ。どうせね、どこへも運ばれない。

しるし

ひつぎにはおもいもよらないものがはいるだろう。冬はほんとうに来てしまったから、けさより風はひどく強く、雪はおりたりのぼったり。白、突然にあらわれる白い雪の白さはいつも、小さな孤独に満ちている。耳は遠くへ、肌は世界を吸いとって、ちくりとくち…

サンタアナ

サンタアナの生ぬるい風が恋しい。冷蔵庫の上だけ掃除するミサキちゃんと住んでいたワンベッドルームのサウスサイドテラス。白く塗られた木製のドア、洗濯室のにおいや日のあたる庭、英語も通じないヒスパニックの隣人たち。日向ぼっこをしながら芝生の上で…

明日

眠れずにずっと起きている。薄青い朝と乾いた昼と暖かな夜と。ひましに嵩をます水のような恐れは体のあちこちからこぼれてベッドを底なしの沼に変える。離れていった言葉は実体化して、この体よりもはっきりと重く、疎く、不透明にかたく、狂った花みたいに…

冬の蜂

目がさめると夕方の匂いがしたから庭にでた。割れそうな頭は一瞬だけ遠ざかってここにある。冬の蜂が地面を這って、もうどこにもいけない速度で自分の命を追い越していくところだった。冬になれば終わるようなものを羨んですこし泣く。ふと、あのひとの感触…

視線

震えがとまらないから赤いタータンチェックのシャツを着てチルデンセーターを重ねた。ずり落ちそうなチノパンは男の子みたいなベルトでとめてFILMELANGEの白い靴下を履く。CHURCH'Sのサイドゴア、紺のトレンチコートと大きなリュック、Drake’sのマフラー、オ…

時間

時間が進まなくなったということばかりがぼんやり浮かんで沈んで、頭の芯は古いゴムのようにひびわれていて船酔い。昨日があって今日になって、もう12月、ひとりで、ふたりで、だれもいなくても朝、夜も、明け方のにおいとか、霜のおりた草の、とける光が映…

標本

アゲハ蝶の標本を赤茶色い玄関の床に手をつき見あげている。覚えている最初の映像。薄黄色と埃っぽい黒がはりついて動かないままただそこにあるといえない威圧的な何か、秘密がある、隠しごとが、見てはいけないよ。小さかった鼻からひとつ息を吐いてけいた…

世界の外縁

名前も忘れていたような人とかんたんにすれ違って言葉だけを交わす。言いたいことは見つからなくて、いままで生きていてくれてうれしい、そう思うだけ。子どもの頃に遊んでいた赤土の色を思い出してその次に感触を思い描いて、あの時から地続きのこの瞬間の…

手を振った、それ以外の見送る手立てをぜんぶ放棄し手を放した。 さようなら。ただ、さようなら。遠くても近くても、ここに不足なくそろっているものを残さずあげる。かつてあなたに備わっていたもの、いまよりずっと若かったあなたから預かったもの。なにも…

空は二層

18時すぎの3号線を走る車の列には音がない。どこまでも続いているけれど、どこにも行けない道しかない。空は二層に分かれて遠ざかる光を反射している。雲は完璧な不透明さでつやつやと夜に迫り、恐ろしいほど世界から独立している。蛇口から出た水が排水口に…

きらきら星

7時なのにまだ明るいとか、近づいてくる山が黄緑と深緑のまだら模様だとか、日に日に濃くなる影や、陽に焼かれた地表の匂い、そんなものに傷つく。そこらじゅうに散乱している悲しみにむせて路上に転がる石を蹴る。カレー屋に着くまで蹴り続けられたらあの人…

うしろ

突然消えて無くなれたら、そんな願いは叶わないことを知っている、だけど、もうどこにも行けないのだとしたら。思い通りに動かない体も頭もぜんぶ朽ちて床に横たわっている、窓から覗く宅配屋と目が合う。となりの木造アパートから鶏を絞め続けているような…

言葉にない

真夜中、海。薄布に透かしてみたような月。見慣れた配置の星。足の裏につく荒い砂と濡れた足くび、夜の風に湿った膝。浅瀬の白い鳥居、投げられた小石。寄せる波も返す波も離れずばらばらにならない。ここにいる間だけは、それがゆるされている。波は、波の…