サンタアナ

サンタアナの生ぬるい風が恋しい。冷蔵庫の上だけ掃除するミサキちゃんと住んでいたワンベッドルームのサウスサイドテラス。白く塗られた木製のドア、洗濯室のにおいや日のあたる庭、英語も通じないヒスパニックの隣人たち。日向ぼっこをしながら芝生の上で洗濯が終わるのを待っていた。まっすぐのだだっ広い道はどこまでつづいているのか結局わからなかったけど、いろ紙を切ってはったように青い、青くて、何かのご褒美みたいな青の空が、いつもそこにあった。ブロックなみに分厚い教科書をデイパックに詰めて、学校までは歩いて25分。通学路にあるお店にはいつも目配せしてくるメキシコ人がいたから、抜けだして遊んだ。贈りものっていう名前の、何もかも下手くそなかわいい人だった。チリを入れるポテトサラダのおいしさを教えてくれた。ミサキちゃんの彼氏はしばらくイタバで、古いフォードに乗っていたのでよくみんなで出かけたものだし、よくケンカもした。メインプレイスやアナハイムのナッツベリーファーム、サンタモニカのベニスビーチ、パサデナローズボウルフリーマーケットロデオドライブ、グリフィス天文台、サンディエゴ。LAに住んでいる、日本人だけどMarcっていうおじさんは、たまにフォーシーズンズホテルに連れていってくれた。日本にいる彼氏みたいな人とはときどき国際電話で話した。電話代がうんと高くなってしまうくらいには仲がよかったけど、離れていてもぜんぜん寂しくなかったし、また会いたいとも思わなかった。日本に帰りたくもなかったのに、ここにも長くはいられないと感じていて、その感じはいまでも、どこにいても、ずっとつづいている。みんなおんなじように愛しかったけど、愛していなかったし、同じように愛されていないほうが居心地がよかった。誰とも、どんな人でも、ずっとは一緒にいられないと感じていた。癖がうつるまで一緒には過ごしたくなかった。わたしともつかない何かは日々失われていくのだし、それは相手にしても同じことだった。ここに、そこに、とどめておけるものは、いつも、なんにもない。恋をしたのなら誰もその衝動性でわたしを捨てるべきだと思っていた。未来とか、約束なんか本当にくだらない。だけど、ぜんぶ壊してしまいたくなるくらいには、わたしは世界を愛していたし、あの頃、暴力的に美しい世界はわたしをぶっ壊してくれた。幼く、純粋な愛をもって。サンタアナ。滅多にない雨に降られたらすぐにあたたかな風が乾かして、誰かから誰かへ受け渡されるひかり、そのひかりに舞う塵にだけみとれて泣いていた。贈りものの彼が教えてくれたスペイン語はもう忘れてしまったけど、またあの辺りに住むのもいいかもしれないな。