2015-01-01から1年間の記事一覧

冬の蜂

目がさめると夕方の匂いがしたから庭にでた。割れそうな頭は一瞬だけ遠ざかってここにある。冬の蜂が地面を這って、もうどこにもいけない速度で自分の命を追い越していくところだった。冬になれば終わるようなものを羨んですこし泣く。ふと、あのひとの感触…

視線

震えがとまらないから赤いタータンチェックのシャツを着てチルデンセーターを重ねた。ずり落ちそうなチノパンは男の子みたいなベルトでとめてFILMELANGEの白い靴下を履く。CHURCH'Sのサイドゴア、紺のトレンチコートと大きなリュック、Drake’sのマフラー、オ…

時間

時間が進まなくなったということばかりがぼんやり浮かんで沈んで、頭の芯は古いゴムのようにひびわれていて船酔い。昨日があって今日になって、もう12月、ひとりで、ふたりで、だれもいなくても朝、夜も、明け方のにおいとか、霜のおりた草の、とける光が映…

標本

アゲハ蝶の標本を赤茶色い玄関の床に手をつき見あげている。覚えている最初の映像。薄黄色と埃っぽい黒がはりついて動かないままただそこにあるといえない威圧的な何か、秘密がある、隠しごとが、見てはいけないよ。小さかった鼻からひとつ息を吐いてけいた…

世界の外縁

名前も忘れていたような人とかんたんにすれ違って言葉だけを交わす。言いたいことは見つからなくて、いままで生きていてくれてうれしい、そう思うだけ。子どもの頃に遊んでいた赤土の色を思い出してその次に感触を思い描いて、あの時から地続きのこの瞬間の…

手を振った、それ以外の見送る手立てをぜんぶ放棄し手を放した。 さようなら。ただ、さようなら。遠くても近くても、ここに不足なくそろっているものを残さずあげる。かつてあなたに備わっていたもの、いまよりずっと若かったあなたから預かったもの。なにも…

空は二層

18時すぎの3号線を走る車の列には音がない。どこまでも続いているけれど、どこにも行けない道しかない。空は二層に分かれて遠ざかる光を反射している。雲は完璧な不透明さでつやつやと夜に迫り、恐ろしいほど世界から独立している。蛇口から出た水が排水口に…

きらきら星

7時なのにまだ明るいとか、近づいてくる山が黄緑と深緑のまだら模様だとか、日に日に濃くなる影や、陽に焼かれた地表の匂い、そんなものに傷つく。そこらじゅうに散乱している悲しみにむせて路上に転がる石を蹴る。カレー屋に着くまで蹴り続けられたらあの人…

うしろ

突然消えて無くなれたら、そんな願いは叶わないことを知っている、だけど、もうどこにも行けないのだとしたら。思い通りに動かない体も頭もぜんぶ朽ちて床に横たわっている、窓から覗く宅配屋と目が合う。となりの木造アパートから鶏を絞め続けているような…

言葉にない

真夜中、海。薄布に透かしてみたような月。見慣れた配置の星。足の裏につく荒い砂と濡れた足くび、夜の風に湿った膝。浅瀬の白い鳥居、投げられた小石。寄せる波も返す波も離れずばらばらにならない。ここにいる間だけは、それがゆるされている。波は、波の…

生まれる

ほんのすこし体を放ったらかしているうちに、また空気はゆるんで、流れて、交じって、細胞が隅々まで入れ替わっていた。足を出せば青い草を踏み、見上げればめいっぱい彩度をあげた新芽に当たる。鳥はかわるがわる囀り、虫をついばみ、巣をつくる。窓の外の…

どこにも

体が冷えて動かない。また黒い影が大きくなっている。ひた、ひた、熱くも冷たくもない水が額に落ちている、ずっと同じところに、穴があいても血はでない、骨もなくて、何もない。じゃあこの音はどこに響いているんだろうね。目をあけて目をとじる。日が上っ…

光あるうち

生長期の植物が光に伸びるように、わたしたちはただ明るい方へ向かって、思い悩むことなく感じるがままに、思いっきり生きるべきときがある、ような気がする。

それがただの脳の容れものだという前に、よくよく見てみてほしい。それこそ、心の多くの部分だということがわかる。そして、体は触れ合うためにある。

あめあめ

あめあめあめ、冷たい、雨、鼻先、摂氏5度の、風、涙、泣いているのじゃない、ただの涙。死ぬほど息を吐く、マンガみたいな吹き出しができた、やった、でも、ブランク、そこは、言葉がない。しゃべらないよう。飛ばされていく風船みたいにわたしを見下ろし役…

Nui.

革のソファに寝そべるようにしてKINFORKの手触りをたしかめるのが日課になっている。気軽な朝のあいさつが高い天井に柔らかく響く。剥き出しの配管、船の帆を模したシーリングファン。コンクリートの床、窓ぎわのミルクブッシュ。バケツみたいなジョッキでビ…

タナカ

タナカは男。身長183センチ。背の高い人の多くがそうであるように、ちょっと猫背。ジャケットにTシャツっていうスタイルも、どんなイメージにも偏らず着こなす。着痩せして見えるけれど、自然な美しい筋肉がついている。トレーニングはたぶん週に1回か2回。…

視界の透明

眩しい。レンズに雨粒がついたみたいに視界の左上が歪んだと思ったら、ピカピカの三角が輪になって回りだす。子どもが描いた色とりどりのサメの歯が視界を捕食する。電飾がサーカスみたいな音楽をひき連れてやってくる。チカチカ、くるくる、拡がって、世界…

あらゆるものの境界が整い、つやつや引きしまってみえる。素直に青みがかった明るい陽射し。知らない道をひとりで歩く。よくわからない力に引っ張られるように芽吹いている。草や木や鳥や人間。威圧的に咲く散りはじめる寸前の桜の匂い。そのなかを歩く。く…

薄く青い蜜みたいな

水が恋しい。波紋の影が海底の白い砂に落ちて揺れる、薄く青い蜜みたいな水。遠くにみえる波うち際が眩しくて目を細める。ちょうど満たされた体は浮かび、前髪はもう乾いていて、塩で固まっている。目を閉じる。鼓動が波うつ赤いひかりになって全身をめぐる…

春に吹く風

風は強くぬるく、梅の花は咲いている。ウィスキーと苺、煙草。燻したバニラみたいに苦く甘いにおいをさせて卑猥な声を耳に押しつけるだれか。スクリーンを照らすMidnight in Parisは眼の表面をすべり落ちるだけなのに、字幕がいやに煩い。解けかけの氷のよう…

いつのまにか

いつのまにか75歳になっていて、重いものを持てなくなっていた。そう書いてあった。思うように動かなくなった手でていねいにペンを運ぶ音が聴こえる字。それは、知らない誰かの時間。時間は、その体であり、このわたしの体でもあるんだろうか。緩んだ空気の…

トランスペアレント

朝はなくて/夜はなくて/群青と橙に休む空/青い針葉凍る空気が/足もとで鳴る雪と繋がり/ひかりに躍る/躍る足をそのままに/そこは、だれもいないのにだれもがいて/重ねあわされ/すみずみまでゆきわたった/振動にのまれる/赤い指先からのびた毛細血管は/つやつ…

願い

枯れて丸まった裏白にだらしなく裂けた百合の花粉がついている。夜が深まるほど濃くなる匂い。むせるような朱色の空気を吐いて痛い額を手のひらに預ける。垂れた首に鋏を入れると手応えのないまま吸いつくように落ちた花冠。その切り口に膨らみはじめた透明…