標本

アゲハ蝶の標本を赤茶色い玄関の床に手をつき見あげている。覚えている最初の映像。薄黄色と埃っぽい黒がはりついて動かないままただそこにあるといえない威圧的な何か、秘密がある、隠しごとが、見てはいけないよ。小さかった鼻からひとつ息を吐いてけいたくん、けいたくんと声をだす。それから二十年経ってけいたくんは死んでしまった。バイクで。三歳のときに会ったきりだし忙しかったので悲しくないふりをした。5時までバイトした朝、頭を洗いながら寝たから二時間かかって遅刻したクラスに出るのをやめて原付で福間海岸に行った。12月だったはずなのに手袋をしていない。ふやけた指。半日ほど川に流されたE.T.みたい。最後に指がふやけたのはいつだろう。病院のベッドで消毒薬のにおいがする真っ白な寂しさをひとつずつ潰していく、ひとつひとつひとつひとつひとつひと、面倒くさくなってぜんぶでひとつにして一気に潰す。寂しさは面倒くさくていちばんどうでもいい。背中に挿したままの管にペットボトルが繋がっていて、それにはボタンがついている。押すと麻酔が注入される仕組み。つまらないな、楽しい。つまらない楽しいと思うのはべつべつじゃない、つまらないつまらないと言っているのが楽しいのです。わたしなんてほとんどの時間ふざけていていつでもふざけて話すのだからだれもそれを間に受けなければいいのに。ふざけているように見られないのが問題であるので坊主にでもすればいいだろうかなんて考えてみる。あのときもあのときにもまだあるような感覚があって、だから何も終わる気がしないし、だけど、この体とまったく違ってもう見ることしかできない。だからやっぱりちょっと寂しくて、まだ知らないはずの声を聞きたい。知ったままにしておきたいという欲を覚えて、見えなくなったものがあるよ。