生まれる

ほんのすこし体を放ったらかしているうちに、また空気はゆるんで、流れて、交じって、細胞が隅々まで入れ替わっていた。足を出せば青い草を踏み、見上げればめいっぱい彩度をあげた新芽に当たる。鳥はかわるがわる囀り、虫をついばみ、巣をつくる。窓の外の…

どこにも

体が冷えて動かない。また黒い影が大きくなっている。ひた、ひた、熱くも冷たくもない水が額に落ちている、ずっと同じところに、穴があいても血はでない、骨もなくて、何もない。じゃあこの音はどこに響いているんだろうね。目をあけて目をとじる。日が上っ…

光あるうち

生長期の植物が光に伸びるように、わたしたちはただ明るい方へ向かって、思い悩むことなく感じるがままに、思いっきり生きるべきときがある、ような気がする。

それがただの脳の容れものだという前に、よくよく見てみてほしい。それこそ、心の多くの部分だということがわかる。そして、体は触れ合うためにある。

あめあめ

あめあめあめ、冷たい、雨、鼻先、摂氏5度の、風、涙、泣いているのじゃない、ただの涙。死ぬほど息を吐く、マンガみたいな吹き出しができた、やった、でも、ブランク、そこは、言葉がない。しゃべらないよう。飛ばされていく風船みたいにわたしを見下ろし役…

Nui.

革のソファに寝そべるようにしてKINFORKの手触りをたしかめるのが日課になっている。気軽な朝のあいさつが高い天井に柔らかく響く。剥き出しの配管、船の帆を模したシーリングファン。コンクリートの床、窓ぎわのミルクブッシュ。バケツみたいなジョッキでビ…

タナカ

タナカは男。身長183センチ。背の高い人の多くがそうであるように、ちょっと猫背。ジャケットにTシャツっていうスタイルも、どんなイメージにも偏らず着こなす。着痩せして見えるけれど、自然な美しい筋肉がついている。トレーニングはたぶん週に1回か2回。…

視界の透明

眩しい。レンズに雨粒がついたみたいに視界の左上が歪んだと思ったら、ピカピカの三角が輪になって回りだす。子どもが描いた色とりどりのサメの歯が視界を捕食する。電飾がサーカスみたいな音楽をひき連れてやってくる。チカチカ、くるくる、拡がって、世界…

あらゆるものの境界が整い、つやつや引きしまってみえる。素直に青みがかった明るい陽射し。知らない道をひとりで歩く。よくわからない力に引っ張られるように芽吹いている。草や木や鳥や人間。威圧的に咲く散りはじめる寸前の桜の匂い。そのなかを歩く。く…

薄く青い蜜みたいな

水が恋しい。波紋の影が海底の白い砂に落ちて揺れる、薄く青い蜜みたいな水。遠くにみえる波うち際が眩しくて目を細める。ちょうど満たされた体は浮かび、前髪はもう乾いていて、塩で固まっている。目を閉じる。鼓動が波うつ赤いひかりになって全身をめぐる…

春に吹く風

風は強くぬるく、梅の花は咲いている。ウィスキーと苺、煙草。燻したバニラみたいに苦く甘いにおいをさせて卑猥な声を耳に押しつけるだれか。スクリーンを照らすMidnight in Parisは眼の表面をすべり落ちるだけなのに、字幕がいやに煩い。解けかけの氷のよう…

いつのまにか

いつのまにか75歳になっていて、重いものを持てなくなっていた。そう書いてあった。思うように動かなくなった手でていねいにペンを運ぶ音が聴こえる字。それは、知らない誰かの時間。時間は、その体であり、このわたしの体でもあるんだろうか。緩んだ空気の…

トランスペアレント

朝はなくて/夜はなくて/群青と橙に休む空/青い針葉凍る空気が/足もとで鳴る雪と繋がり/ひかりに躍る/躍る足をそのままに/そこは、だれもいないのにだれもがいて/重ねあわされ/すみずみまでゆきわたった/振動にのまれる/赤い指先からのびた毛細血管は/つやつ…

願い

枯れて丸まった裏白にだらしなく裂けた百合の花粉がついている。夜が深まるほど濃くなる匂い。むせるような朱色の空気を吐いて痛い額を手のひらに預ける。垂れた首に鋏を入れると手応えのないまま吸いつくように落ちた花冠。その切り口に膨らみはじめた透明…

○ 消耗

怖い夢しかみない夜にさえ救いをもとめたけれど、どうもうまくいかない。「死」がこちらを意識しているような感覚。夜中の3時に外に飛びだしたけれど、枯葉の音が後をつけてきてすぐに泣きやんだ。思い通りにふるまわないわたしを見えないものみたいに扱うの…

○ うしろあし

まだ明日は木曜で、曇った空みたいな色の曜日で、「ガッシュ」にさえこびりついたイメージを拭うにはどれくらいの呼吸がいるだろう。全体的な感じではなくてそれはむしろほんの一部にすべてが押し込められてしまったみたいに窮屈で、醜い。仕事などやめて遊…

○ 鴉の羽軸をオリーブ油に漬したもの

中央公園の枯葉をしゃくしゃく鳴らしながらなにも考えない。朝と昼と夕方と。みどりのかかった黒の鴉は鈍い艶のある羽をきれいにたたんでこちらを見ている。宝物をみつけたような気分になってぼんやりと弁当を奪われ広げた羽を見あげた。「ともぐい」褪せた…

○ もう明日

どうしてあのとき離れたんだってそればっかりが心に浮かぶ。死んでいく父ともし代われてもそうはしなかった。それは父を愛しているからだ。わたしの死に目になんかあわせられるわけがない、それなら父が死んだほうが父にとって良いはずだとそう疑いもなく思…

○ 夜明けの晩

失うことを恐れるのはもうたくさん。去っていくことと自ら去ることの意味の違いを納得させて。ここにいて、ここにはもういないひとはだあれ?

○ ひとり

命は明日へ延びていくようにみえて、過去のなかでしか生きていないわたしたちは、だからひとり。どうしようもなくひとり。

○ 金木犀の氷漬け

死ぬまであとどれくらい。

○ 蜂蜜に蛙がおよぐ

喘ぎながらひりひりと熱く湿った皮膚を自由にする。琥珀色の粒々がぺたぺたと額を濡らすままにみあげると星雲が配列された真暗闇がひろがっていた。気に入りの星雲よりもその闇に気をとられたので目をかたく閉じてから窓という窓を開けて風が吹くのをまった…

○ 鱗茎

彼岸花の根を擂り潰して足のうらにぬりたくっていたよね。お蔭さまで歩くのに難儀しなくなったんだとか。土手に突き刺さっているその花は、新鮮な血痕みたいにわざとらしく朱く群れたり散ったりしていたのに今日にはもう褪せて、空はあまりに澄み青いので、…

○ どこへでも

疲弊が母を眠らせた隙に昏睡して動けない父の手をとって自分の頭にのせてみた。のせて二回撫でてみた。もう短い息継ぎのような呼吸だけが、居心地良いでしょうと言わんばかりにしているホスピスのあたたかそうな色のくだらない壁に弱々しく響いている。だん…

○ 絶対音楽

孵らない雨間に声を燃やす日はひかりの漏れる窓掛けに似てくる/青がよく映るしましましたタイに手をかけちらり彼方を見遣る仕草/あした/あした/失ってしまう前の予感に橙の果汁を模した/ボヘミア起源の二拍子の活発な舞踏および舞曲は捕らえ/つき砕いて固め…

○ 、海、海、海

、なんて唄ううちに手拍子が聞こえてきてその次の瞬間しんとして終わってしまえばいい命。枯葉を玩んでいればよかった子どもの頃に戻りたいと言ったあのひとはいま仏壇を売っている。お骨ペットの前に置いた砂糖菓子をかじってイチニィサンシっていちばん言…

○ いなくなる

もう二度と失えないということ。かなしみに背筋が凍る。つつじのように赤くきれいな腸の切りくち。顎でする息。湿った蝋みたいな皮膚。鼻についた腸液のにおい。目の前で砕かれた顎の骨。立派なお骨でなんて言うな。もう父でも人でも骨ですらないそのかすか…

● 夜通し鳴く、金魚とベランダ

夜にも鳴く鳥が家の周りを巣で包囲していて一日のほとんどの時間をそこでかわるがわるさえずって過ごしている。静かにしているのは朝の4時15分から30分間だけ。朝になったら金魚を買いに行こうか。魚には瞼がないので情の移りようがない。丸い金魚鉢にきれい…

● 誕生

もんもんが産まれた。生きるためだけに生きているものがもっている力強い愛らしさに、みんなすっかりひきつけられうっとりさせられている。初めて振るわせる声帯からはあんなに可愛い音がでるの。伸びた軟らかい頭は天辺がすこしとがっていて、羊水と血液で…

● のっぺらぼう

左から右に流れるベルトコンベアのような白い装置を横から見ていた/右の方はすぐそこで滝のように足もとより低いところへおちているようでその先を見ることはできない/左を見ようとしたけれど首の後ろになにかがしがみついていてできない/1ミリでも動くと首…