○ どこへでも

疲弊が母を眠らせた隙に昏睡して動けない父の手をとって自分の頭にのせてみた。のせて二回撫でてみた。もう短い息継ぎのような呼吸だけが、居心地良いでしょうと言わんばかりにしているホスピスのあたたかそうな色のくだらない壁に弱々しく響いている。だんだん深く潜っていくみたいに長くなる間隔、永遠かと思うほどの時間止まった呼吸。そしてまた、忘れ物でもしたみたいに浅く吸って、吐いて、吸わない。父はだらりとしていた顎をひき上げて白眼の覗いていた目をかたく閉じた。吸った。吸わない。吸わない。忘れ物は?吸わない。吸わない。吸わない。吸わない。吸わない。吸わない。もうないの?吸わない。吸わない。吸わない。吸わない。吸わない。吸わない。吸わない。吸わない。吸わない。吸わない。吸わない。吸わない。吸わない。吸わない。吸わない。吸わない。吸わない。吸わない。吸わない。吸わない。吸わない。吸わない。吸わない。吸わない。吸わない。吸わない。吸わない。吸わない。吸わない。吸わない。吸わない。吸わない。息を吸わないという目の前の現象だけをかろうじて受けいれて急に早回しのようになった時間が背後から津波みたいに襲いかかってくるのにじっと耐えているしかなかった。その衝撃に気をとられたふりをしたみんなは脱け殻みたいに恐ろしい陽気さをもって湯槽に丸太のように浮かべた父の身体を洗い少しの髭を剃り子どもにするみたいに歯を磨き爪を切り挙げ句の果てには茶色とピンクの絵の具を顔と首と手だけに塗りつけた。「父さんどこにいったの」