ノーザンライツ

チープなチュール、でもオートクチュールでもオーロラのようにたっぷり濃く重なり、それでいて、重なるほどきりなく淡く透けなくては。ここは余りの世界。なにもかもが打ち消しあったあとの残り滓の世界。わたしたちはいつも、だからきっと孤独。波立つ襞は脈動して肌をふちどる、規則正しく反復される呼吸さえ拾いかすかに揺れうごく、ままに流れゆくのかも。あのメゾンの真骨頂、折衷主義だって。聴こえない音、言わない言葉を肌に縫いとめる糸も、もうここにはないのよ。いつも地球の夜側で生きていたい。あなたの口もとから零れおちた星がよくみえるように、すべての灯りを消して感情のフリルをよせる。滲む。くらい夜のあまりのくらさにたゆたう。そして、ちょっと歌う。もう来ない夜のうた。

手のうちをぜんぶみせる約束をして恐怖を交換する。痛くもかゆくもない傷口を晒すのをゆるさない。新鮮に苦くひっそりと深い場所を探りあてやさしい声で甘やかさない。痛いっていえばいい。苦しいっていえばいい。穏やかなふりの鈍磨した感情をひきちぎってだれかの影になるのをゆるさない。泣けよ。臆病さのためになくしていくものには臆病さをふくまない。綻びから滴る理想思想に煽られ追いやったひとひとひと。ひとりきりのふりして人じゃないものにあやつられるのをゆるさない。なにも思いどおりにならないところをみていてあげる。ここにはだれでもないだれかしかいない。揺れて溺れてぐちゃぐちゃにして消去するのをゆるさない。自らを陥れる、あらゆることへの言いわけにする。恥を知ればいい。目をあけて終わるところをみていて。息を吐くだけで発狂しそうになる体の配置がえをおこなう。首を絞めて息の仕方を思いださせてあげる。生きればいい。ゆるしておねがい。なにもかもゆるせ。リセットしたつもりの創造するつもりの万能感みたいなものに陶酔しそこねたあとの世界はいつもと同じに終わらない。待ちのぞむ欲を燃やして灰にすればいい。そうだその灰で墓標を立てようよ。安心などするものではない。ここにはだれも、だれもいない。

しるし

ひつぎにはおもいもよらないものがはいるだろう。冬はほんとうに来てしまったから、けさより風はひどく強く、雪はおりたりのぼったり。白、突然にあらわれる白い雪の白さはいつも、小さな孤独に満ちている。耳は遠くへ、肌は世界を吸いとって、ちくりとくちびるにばかり積もりたがる白のひとひら、ふたひら。快楽に似た痛みは韻をふみ、まっすぐに消え失せ音をとり零す。とてもよいゆきどまりをみつけたのよ、そこへつれていってあげたいな。手は小さく震えて、手という手をとり展開する命。生まれたばかりの体、うんとのびをしすぎて飛び散った、それから雪になったとおもう。あるときは星に。ふと黒い空に黒い雲は立ちこめる、あなたの黒い目はみつめる黒いわたしの星。星たちよ。やわらかに死んでしまいなさいゆるしてあげる。100万年前に生まれた光の9分前の残像を、最期の目には焼きつける。あなたの体に触れた、そのしるしとして。

サンタアナ

サンタアナの生ぬるい風が恋しい。冷蔵庫の上だけ掃除するミサキちゃんと住んでいたワンベッドルームのサウスサイドテラス。白く塗られた木製のドア、洗濯室のにおいや日のあたる庭、英語も通じないヒスパニックの隣人たち。日向ぼっこをしながら芝生の上で洗濯が終わるのを待っていた。まっすぐのだだっ広い道はどこまでつづいているのか結局わからなかったけど、いろ紙を切ってはったように青い、青くて、何かのご褒美みたいな青の空が、いつもそこにあった。ブロックなみに分厚い教科書をデイパックに詰めて、学校までは歩いて25分。通学路にあるお店にはいつも目配せしてくるメキシコ人がいたから、抜けだして遊んだ。贈りものっていう名前の、何もかも下手くそなかわいい人だった。チリを入れるポテトサラダのおいしさを教えてくれた。ミサキちゃんの彼氏はしばらくイタバで、古いフォードに乗っていたのでよくみんなで出かけたものだし、よくケンカもした。メインプレイスやアナハイムのナッツベリーファーム、サンタモニカのベニスビーチ、パサデナローズボウルフリーマーケットロデオドライブ、グリフィス天文台、サンディエゴ。LAに住んでいる、日本人だけどMarcっていうおじさんは、たまにフォーシーズンズホテルに連れていってくれた。日本にいる彼氏みたいな人とはときどき国際電話で話した。電話代がうんと高くなってしまうくらいには仲がよかったけど、離れていてもぜんぜん寂しくなかったし、また会いたいとも思わなかった。日本に帰りたくもなかったのに、ここにも長くはいられないと感じていて、その感じはいまでも、どこにいても、ずっとつづいている。みんなおんなじように愛しかったけど、愛していなかったし、同じように愛されていないほうが居心地がよかった。誰とも、どんな人でも、ずっとは一緒にいられないと感じていた。癖がうつるまで一緒には過ごしたくなかった。わたしともつかない何かは日々失われていくのだし、それは相手にしても同じことだった。ここに、そこに、とどめておけるものは、いつも、なんにもない。恋をしたのなら誰もその衝動性でわたしを捨てるべきだと思っていた。未来とか、約束なんか本当にくだらない。だけど、ぜんぶ壊してしまいたくなるくらいには、わたしは世界を愛していたし、あの頃、暴力的に美しい世界はわたしをぶっ壊してくれた。幼く、純粋な愛をもって。サンタアナ。滅多にない雨に降られたらすぐにあたたかな風が乾かして、誰かから誰かへ受け渡されるひかり、そのひかりに舞う塵にだけみとれて泣いていた。贈りものの彼が教えてくれたスペイン語はもう忘れてしまったけど、またあの辺りに住むのもいいかもしれないな。

明日

眠れずにずっと起きている。薄青い朝と乾いた昼と暖かな夜と。ひましに嵩をます水のような恐れは体のあちこちからこぼれてベッドを底なしの沼に変える。離れていった言葉は実体化して、この体よりもはっきりと重く、疎く、不透明にかたく、狂った花みたいにそこに存在しているようにみえる。あまりに生きていないわたしにはそれが触れない。それらは自動的に語りかけ、結果みたいな顔をして、間をすべて塗りつぶしていく。取り返しのつくことがあるのだとすれば、それはもう生きていないんじゃないか。すぎてすぎてすぎて何も残さず持たずすぎるごとに空になって空っぽになって死んでいくんだ。思考するためにこんな世界にいるんじゃない。指を1ミリ動かし息をひとつするのにも疲弊して脆くなっていく体を持て余し、だからどうすることもできずにただ目を開けている。薄青い朝も、乾いた昼も、暖かな夜もひとり。信じていない明日でも、来さえすれば、目を閉じることくらいはできるかもしれないな。

冬の蜂

目がさめると夕方の匂いがしたから庭にでた。割れそうな頭は一瞬だけ遠ざかってここにある。冬の蜂が地面を這って、もうどこにもいけない速度で自分の命を追い越していくところだった。冬になれば終わるようなものを羨んですこし泣く。ふと、あのひとの感触や声の色や目やくちびるの端がほんのすこしぼんやりしているのに気がつく。いそいで必死に目を開けてみると、そこにいるのは幸せそうなべつのわたしで、自分の記憶とは思えなかった。空は誰かの希望みたいな色をして、気味が悪いほど明るく輝いて闇にのまれていく。蜂になったつもりでのろのろと歩いてみたけれど、なにも終わる気配はない。終わらないなら慰めないといけない気がして、だけどやり方がわからなかったから、左手で頭を撫でた。